暫定管理人のテキトーな独り言なのでテキトーに読み飛ばしてください〜











1970年代も半ばを過ぎようとしていたある日、その頃ロックやソウルに夢中の高校生だった私は、父親にテキトーな理由をつけて(確か英会話の勉強のためとか言ったような・・・)手に入れた変なメーカーのラジカセから、深夜突如として流れてきた音楽に心のどこかをガシッと掴まれてしまいました。その曲は歌(ヴォーカル)もなく、メロディーもよくわからない音楽でした。初めはこの不思議な音楽がよくわかりませんでした。ただそこから発せられる、なんとも心地よいグルーヴ、そしてそれとは相反する爆発的なエナジー・・・・・・・・・・

う〜ん、こりゃスゴイぞ!なんだかわからないけど、きっとスゴイ音楽に違いないと!(勝手に思い込む)

もちろん、流れていた番組は、土曜深夜の定番、【渡辺貞夫のマイ・ディア・ライフ】。 そしてそこで鳴っていたピアノは、当然・・・っていうことで・・・まあ、よくある「私のジャズ初体験」みたいな話で申し訳ありません(特におもしろいエピソードがあるわけではないし・・・)


それから30年あまり、まさかその‘凄腕ピアニスト’本田さんのサイトに自分が関わることになろうとは・・・
人生なにがあるかわからないものです。


ジャズ・ライターの長門氏をして【執念と純真】【破壊と抒情】のピアニストと言わしめた本田さんが亡くなって早3年が経とうとしています。その間9社合同のキャンペーンがあったり、未発表のライヴ盤が出たりと、それなりに本田仕事の保存活動は行なわれてはいましたが、肝心なオフィシャル・ホーム・ページが諸所の事情により閉鎖されたままになっていました。本田さんが残した音楽は、今もなおそのパワーを失わず、生前からのファンはもとより新たなファンの心をも捕らえて離しません。そこで、せめてバイオグラフィーやディスコグラフィーくらいはネット上に残しておきたいと、元マネージャーのTさんや元本田ファンクラブの事務局長Oさん、元本田ファン・クラブの面々、そしてmixi本田コミュの皆様の後押しでファン・サイトとしてですが、なんとか復活する運びとあいなりました。尚、このHPを製作するにあたり、本田さんが日本ジャズ史に残した最高傑作との呼び声もある、ご子息のドラマー珠也氏よりホームページ開設を快諾していただきました。また元オフィシャル・HPの管理人Nさん、そして、本田さんデビュー時より強力なファンの一人Eさん(彼もまた今年本田さんの方へ旅立ってしまいましたが)から多大な資料提供があったことを、この場を借りて感謝の意と共に、ご報告させていただきます。

 
本田竹広ファン・サイト管理人philly-lounge (2009/1.12記)