本田さんの生い立ち
本田竹広(p) 1945年8月21日生まれ、岩手県宮古市出身
本名:本田昂(たかし)・竹彦→竹曠→竹広

12才で音楽家を志して上京。中学2年より国立音楽大学を目指し、長峰和子女史に師事する。国立音楽大学付属高校入学を経て同大学に至る。長峰門下でクラシック音楽家を目指すが同時にジャズと出会いその即興性、自由なリズムとハーモニーに心を掴まれてしまい、ジャズへと方向転換。20〜21歳の頃ジャズ・ピアニストとしての活動を開始する。

故武田和命のグループに参加後、自己のトリオを結成。

69年8月18日運命のディーヴァ、互いがソウルで結びついたチコ・本田と結婚。11月には現在トップクラスのジャズ・ドラマーとして活躍中の珠也氏が生まれる。
その69年にトリオと契約。

73年〜78年まで、チコの実兄でもある渡辺貞夫グループに参加し日本ジャズ界のスター・プレイヤーのひとりとなる。

78年峰厚介、村上寛、川端民生、大出元信と共に、ネイティブ・サンを結成し絶大な人気を獲得する。
87年アルバム『アグンチャ』発表後、ネイティブ・サン終焉。

90年ファンハウスに移籍。

93年最初の脳内出血、95年腎性肺気腫、その後回復に向かうが、97年2度目の脳内出血によりまたしても、闘病生活を余儀なくされる。

その後、奇跡的に復帰するも2006年1月12日急性心不全のため逝去。